超一流の役者である、市村正親さん。72歳でなお舞台に立ち続け、快進撃が止まらないです。市村さんは劇団四季の元看板俳優としてミュージカル作品をはじめとした伝統的な作品を多数演じ、「オペラ座の怪人」では和製ファントムと呼ばれるなど独自の世界観でファンを虜にしてきました。
貫禄たっぷりで歌唱力も抜群な市村正親さんの魅力は語り尽くすことができないほどですよね。
最近では声優として「ミニオンズ」シリーズ最新作の「ミニオンズ・フィーバー」やポケットモンスターシリーズの「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」などの大ヒット作品で存在感のある演技で何かと話題になることが多いです。なんでもできるって天才か!?才能やばすぎる市村さんです。
そんな市村正親さんの原点を探るため若い頃の活躍ぶり、恋愛面、若い頃と比べ劣化したという噂に至るまで徹底的に調べ、まとめました!
Contents
市村正親のプロフィール
市村正親(いちむらまさちか) 本名 市村正親
【取材しました】
市村正親、愛息子2人に直接アピール「一緒に共演がしたい」(ドワンゴジェイピーnews)
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生年月日:1949年01月28日(73歳)
出身地:埼玉県川越
血液型:A型
1973年に劇団四季の「イエス・キリスト=スーパースター」でデビューしてから、1990年に舞台「エウクス」のアラン役で初主演を果たします。代表作は1988年「オペラ座の怪人」などですね。現在はミュージカル、ストレートプレイ、一人芝居などに挑戦されていて2023年2月には今回で6回目を迎える市村さんによる一人芝居「市村座」への出演が決まっています。
そんな市村さんの過去に遡り現在までの道のりに迫っていきたいと思います!
市村正親の生い立ち
偉大な俳優、市村正親さんはどのような家庭で生まれ育ってきたのでしょうか、華やかな演劇の世界を目指したのは名家の出だからなのかそれとも憧れの人がいたからなのか、気になります。
老いを感じないほど精力的に活動を続けている市村さんは幼少期どんな性格だったのか、今の市村さんとのギャップはあるのか、次から詳しく迫っていきます。
市村正親は一人っ子だった幼少期が役者の原点に。
画像出典元:ORICON NEWS
市村正親さんは一人っ子だったため母親からご飯代をもらって一人で定食屋に行き、食べるなどしていたそうです。市村さんも「一人っ子で鍵っ子でいたものだから、やたら想像力が豊かになったんでしょう」と言っています。寂しい思いをしていたんですね。
幼少期は母親の営んでいた居酒屋「いっちゃん」に市村さん自身もよく入り浸っていて、居酒屋に来るお客さんを地元・川越の山車祭りの白虎を真似た芸で楽しませていたそうです。人を楽しませる芝居心というか見て欲しい欲求みたいなものが幼少期からあったんですね、、
この頃の経験が市村さんの俳優としての原点なんだと思います。続いて市村さんが俳優を志すきっかけとなった高校時代に迫ります。
俳優活動に目覚めた高校〜付き人時代
新劇界のジュリー✨市村正親
西村晃さんの付き人してました
スター街道をまっしぐら💨おはよー👨🎓👩🎓母の高校の同級生です。 pic.twitter.com/E4ENCppkhr
— らうおう (@Krjg14W) May 14, 2022
市村さんは役者を目指し夢を叶えた人ですがなぜ役者になろうと思ったのか気になります。
市村さんは川越商業高等学校の出身なのですが高校2年で3年生を送る会に参加したとき声と動きに分かれた芝居をしてとても面白かったことから演技の道を進むようになったそうです。演劇部の顧問に声をかけられ入部を決めたそうですが部員が10人だったのに対し男は市村さん1人だけだったため、「部活動だけでは足りない」と思い赤羽にある演劇の学校「新日本児童」に通って練習するようになったそう。
高校の半ばから俳優を目指すようになったのは意外でした。
高校卒業後は舞台芸術学院で3年間演技のことを学んでいたそうですがその後は俳優の西村晃さんの付き人をしていたそうです。付き人というのは師匠の身の回りをお世話する仕事ですがその中で「どうすれば共演者がやりやすいか」ということや生で劇や映画の現場を見たことで一流の役者の振る舞いや言動がどうあるべきかということを学んだそうです。
この経験が市村さんを一流の俳優にしたんですね。続いて市村さんが劇団に所属して看板俳優になった頃に迫ります。
市村正親の若い頃
市村さんは今でこそ一流の俳優と呼ばれ劇団四季で看板俳優だったことでも知られていますがそれには才能だけでなく相当な努力がないとできないと思います、市村さんの場合も主役を演じるようになるまで苦労があったようですが、そこから抜け出して市村さんは吹っ切れたように活躍を遂げていきます。
そんな彼の出演作とエピソード、周りの反応がどのようなものだったのかについて調べ、舞台で活躍されていた頃とテレビ進出した頃にわけてまとめました!
舞台俳優時代の活躍
市村正親さんが舞台俳優をしていた頃の出演作、エピソード、周りの反応について迫ります。
仮入団で端役から抜擢される!強烈な嫉妬心をバネに成長!
市村正親さんが舞台芸術学院を卒業してから役者として活躍するまでの道のりはとても険しいもので、舞台に出られるようになった後も望んだ役が手に入るまでの下積みが長かったのです。
24歳のとき「これまで師匠第一だった人生をやめ自分を第一に考えてみたい」と思い、西村晃さんの付き人をやめて劇団四季に入団し、オーディションを受けます。1971年に「イエス・キリスト=スーパースター」で役者デビューを飾り、ユダヤの王 ヘロデを演じています。端役から重要なシーンを担うヘロデ役に大抜擢されたそうですごいです。
市村さんは、その後も「ウエストサイド物語」、「エクウス」、「ヴェニスの商人」など話題作に出演しますが、同期で親友の加賀丈史(かがたけし)さんが主役を演じ続けていたことに強烈な嫉妬があったそうです。
自分も主役が欲しいと劇団四季の主宰者で演出家の浅利慶太さんに直談判に行くも、「鹿賀がステーキなら、お前はステーキの横についているクレソンみたいなやつだからな」と言われすっかり落ち込んでしまったんだとか。ひどすぎですよね。
ただ、浅利慶太さんからは「人には時計のサイクルがある。お前にはお前の時計がある。人の時計を見ると比較してしまう」と地道にやる大切さも教わり、「クレソンはステーキになくちゃいけないもの。太陽があって月があるんだなと思った。太陽じゃなくていい、月の演技がある」と成長心に変えて進んでいったんだそうです。
続いて、そんな市村さんがコンプレックスを乗り越え劇団四季の主役を勝ち取り看板俳優として活躍していく頃に迫ります。
〜劇団四季時代〜エクウスで主演を務め全裸で熱演!
市村さんは、1979年にライバルが退団したことで主役を任されるようになります。ですが市村さんの中では「丈史が四季を辞めたから俺にいい役が来たわけじゃない。いなくなったときに、こっちがずっと「ああいうふうになりたい」って気持ちがあったからこそ、(主)役と出会ったんじゃないか。」と前向きに捉えていたようです。
1990年に「エクウス」で馬の目をつぶすという奇怪な事件を引き起こした少年・アラン役で初主演をします。若い頃から凄まじい熱量で俳優の道を突き進んだ市村正親さんのストイックさが身を結んだのでしょう。
画像出典元:Amazon
この舞台では共演する女優とともに全裸になるシーンがあり注目を集めました。初日のカーテンコールでは拍手喝采に包まれ、脚光を浴びました。市村さんにとってストーリー劇は初で大きな経験になったそうです。
1984年に「キャッツ」にミストフェリーズ役(黒白の毛並みが印象的な小さな猫。ダンスとマジックの能力が抜群)で出演します。有名な劇ですね。
実家で1984年のCATSのパンフ発掘!お宝!
懐かしすぎる。
市村正親、前田美波里、川崎麻世がキャスティングされてた頃! pic.twitter.com/Rgb5PeQzGO— やまえり (@yamaeri0603) May 17, 2020
1986年に「ロミオとジュリエット」にロミオ役で出演します。こちらも言わずと知れた名作です。
いっちゃんに知寿さん!
懐かしのロミオとジュリエット❗️#市村正親 #保坂知寿#ロミオとジュリエット#RomeoAndJuliet pic.twitter.com/P06Swkx28s— So@ミュージカル好き救急集中治療医✖️J-COSMO✖️レジ王 (@Sounet1980) August 2, 2020
「エクウス」出演後も劇団四季で仕事をこなし経験を積み重ねていきます。
いっちゃんバンザイ!活躍は地元の両親まで届いた!
舞台「エクウス」で主役を得たあと、劇団四季の看板俳優になった市村さんはその後も活躍を続けます。市村さんのご両親は、市村さんの活躍を地元紙に掲載された市村さんを称賛する記事「いっちゃんバンザイ!一人息子は燃えている」で知って、大喜びしたそうです。
1983年に第34回 芸術選奨文部大臣賞新人賞演劇部門(『ユリディス』『エクウス』)を受賞したときはお母さんを記念パーティーに招いたんだそうで、肝硬変で入院していたお父さんもベッドの上で式の様子を映したビデオを何度も見返していたんだとか。市村さんの活躍にはご両親の支えがあったんですね。
圧巻の歌唱力!「和製」ファントムと呼ばれ大活躍!
市村正親さんは39歳で再び主役となり、圧巻の歌唱と演技を披露します。1988年に「オペラ座の怪人」で、オペラ座の地下深くに棲む“ファントム”を演じます。「オペラ座の怪人」はミュージカル作品の傑作で、市村さんの演じた”ファントム”は浪花節+演歌を組み合わせた、他に真似できない和製”ファントム”と言われました。
ファントム市村正親 pic.twitter.com/Cgp7JhOXvf
— W◎ (@rainysky720) April 23, 2014
このキャスティングは実はぶっつけ本番だったそうで、市村さんはすでに永遠の青年・ラウル役のオーディションを受けていたのですが演出家のハロルド・プリンスさんがすでに上がっていた候補の俳優に納得がいかなかったため急遽代わりに市村さんの歌声を聞いてみたいと言われたそうです。
そこで歌詞を一瞬で覚え、歌声を披露するとハロルドさんは「ブラボー!君でいく」と叫び市村さんに決まったそうです。実は劇団四季の主宰者である浅利慶太さんはこのキャスティングに反対したそうですがハロルドさんは頑として譲らなかったんだとか。ぶっつけ本番で演じて主役に決まったのって実力すごいですよね。
1989年に再演された「オペラ座の怪人」で再びファントムを演じ、同年末の「第40回NHK紅白歌合戦」に歌手として出演しました。市村さんは「劇団四季」の俳優としてではなく、”市村正親”として白組での出演でした。
再演された「オペラ座の怪人」でも”ファントム”を熱演して活躍した市村さんですがその後”ファントム”に選ばれることはなかったようです。何が原因だったのでしょうか。
恩師からの裏切りで独り立ちを決めた市村正親。
1990年に市村さんは「劇団四季」を退団していて、理由は3度目の出演に名前が挙がっていた「オペラ座の怪人」”ファントム”役から下ろされたからだそうです。衣装さんから「市村さん、次のファントムはお出にならないんですってね」と言われ唐突なことに思わず耳を疑ったそうです。というのも衣装さん含め言わないよう口止めされていたのを口を滑らせてしまったからで、翌日には劇団の主宰者の浅利慶太さんの口から「ファントムは他のヤツにやらせるから」と正式に知ることになったそうです。
市村さんは「四季を率いた浅利慶太さんが最初に伝えてくれたなら、ずっと劇団に残ったかもしれない。でも、人生にもしもはない。」と言っています、、恩師からのこの仕打ちがよほどショックだったのでしょうね。。
市村さんは退団する年の6年前に劇団四季所属の八重沢真美(やえざわ まみ)さんと結婚しています。奥さんからは長年勤めた劇団四季を辞め、独立することにもちろん反対されたでしょうが、それでも退団する決意は揺るがないものだったと分かります。
それには、ミュージカル「ミス・サイゴン」の日本公演が決まりオーディションが行われる予定で「劇団四季」の団員のままではオーディションが受けられなかったことも関係していて、市村さんは覚悟を決めて見事エンジニア役でオーディションに受かり、「世界一のエンジニア」と言われ絶賛されるまでになっています。
そんな市村正親さんはミュージカル以外にテレビドラマや映画にも多数出演していて、そちらでの活躍ぶりに迫っていきたいと思います。
テレビでの活躍ぶり
市村正親さんが舞台俳優をしていた頃の出演作、エピソード、周りの反応について迫ります。
1980 大河ドラマ「獅子の時代」に出演
1980年に大河ドラマ「獅子の時代」に出演し、姉・もん(大原麗子)の期待を裏切り自堕落な生活を送る小此木恭平役を演じています。
画像出典元:NHK人×物×録
市村さんにとって初のドラマ出演だったそうで共演した俳優がそうそうたる顔ぶれだったためめちゃくちゃ緊張したそうです、、尾上菊五郎さん、加藤嘉さん、沢村貞子さん、根津甚八さんや鶴田浩二さんらベテランが勢揃いだったそうですが、市村さんも負けず劣らずの存在感です。
ミュージカル俳優の持ち味である声を生かした仕事もしていて、特に声優などはあの役も?と思うような意外なものがあります。
1974年 映画「ジャックと豆の木」で初めて声優をし、1998年 第1作目『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』では人間に生み出された最強のポケモン・ミュウツー役に選ばれ、人類への復讐を考えながらも心に葛藤を抱える複雑な心境を演じました。他に、1994年10月22日公開の「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」の主人公”ジャック”は紳士的なキャラクタ、市村さんの声がぴったりで歌声も素敵だと言われています。
伝説のポケモン・ミュウツー役は
市村正親さんに決定!劇場版第一作に続き
「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」に
市村正親さんが帰ってくる!
映画公式サイトでは、
ポケモン映画への意気込みや
役への思いが詰まったコメントを紹介。https://t.co/oFAJkusojz#ミュウツーの逆襲 pic.twitter.com/CoWSQtRNV6— ポケモン映画公式ツイッター (@pokemon_movie) March 1, 2019
市村さんの声優のお仕事は世界中のポケモンファンはじめ、様々な年齢層の方の心に残っているんですね。かっこいい。。
50年後の今も舞台に出演している
市村正親さんは2014年6月に急性胃炎と医師に診断され、その1ヶ月後に初期の胃がんであることを公表しました。その年出演予定だったミュージカル「ミス・サイゴン」やドラマ「おやじの背中」など降板が相次ぎましたが、手術の成功により2015年9月には舞台復帰を果たしました。
2018年には芸能生活45年を迎え、自身による一人芝居「市村座」で記念公演も行いました。2019年春には芸術文化への貢献に対し贈られる旭日小綬章も受賞しています。長年の芸能活動でますます腕に磨きがかかったようですね。
2020年には約30年間続けて出演しているミュージカル「ミス・サイゴン」にエンジニア役で出演しています。
ミスサイゴン初演上演からこの5月で30年‼️
美奈子もイッチャン(市村正親さん)もパワーに溢れてました。
美奈子もちょっとだけこちらの世界に戻っておいでよ❣️
皆んな喜ぶよ、、、。#ミュージカル#ミスサイゴン#30周年#本田美奈子#市村正親#渡洋史 pic.twitter.com/ZvSFgffxLy
— 渡 洋史 (@watari164) May 16, 2022
2022年現在は舞台だけでなくテレビのバラエティ番組でも活躍していて、日本テレビ 系列の「行列のできる法律相談所」や 「1億人の大質問!? 笑ってコラえて!」、TBSテレビ「THE TIME,」に出演しています。
チャーミングな笑顔が魅力で70歳を過ぎた今もその人気は変わらないようです。すごいですよね。
若い頃の恋愛恋愛事情
貫禄あるおじさまのイメージある市村さんは篠原涼子さんと20歳差で結婚して世間を騒がせましたが、結局離婚してしまいましたね。。実はこれでバツ2で前の奥さんは市村さんを支える、彼にとって良き妻だったようですがどのように出会い、そして別れてしまったのか気になりますよね。
市村さんと妻・篠原涼子さんとの馴れ初め、結婚の決め手と離婚理由に迫りたいと思います。
元妻・八重沢真美さんとの馴れ初めから離婚まで
1984年に市村正親さんは劇団四季の女優・八重沢真美(やえざわ まみ)さんと結婚しています。篠原さんとタイプは違いますがかなりの美人ですね。
八重沢真美 マンマミーア pic.twitter.com/a50jdUwJSR
— shimaron (@shimaron4) May 29, 2019
若い頃の市村さんは、凛々しい眉毛で濃い顔立ちのとてもハンサムな男性だったので、もしかすると劇団で顔を合わせ演技を磨き合う中で恋に落ちていったのかも知れません。
元妻・真美さんはその後劇団四季を辞め家庭に入ったようで、1989年に舞台「M.バタフライ」で夫婦共演していますが劇団四季の看板俳優となり1990年には舞台「エクウス」の主演が決まっていた市村さんを支えていきたい思いがあったようです。
ですが、2003年5月には離婚していて理由ははっきりとしませんが一説によれば篠原涼子さんの略奪婚だったと言われています、、本当なら篠原涼子さんやっちゃダメなことしてると思いますが当人同士で納得していたなら仕方ないのかもしれないです。
現在の妻・篠原涼子との馴れ初めから離婚まで
2001年 舞台「ハムレット」で市村正親さんと篠原涼子(しのはらりょうこ)さんは出会い、名作悲劇を蜷川幹雄が演出したこの舞台でハムレットを演じた市村正親さんとオフィーリアを演じた篠原さんは劇中で恋人同士で、現実でも恋人になります。
演劇作品も楽しめるdTV♪
蜷川幸雄演出の2001年『ハムレット』は必見です。舞台には上下に張られた鉄線と電球だけ。観客に想像の余地を与えます。出演は市村正親、篠原涼子ら。蜷川ならではの強烈な個性が満載です。https://t.co/EhpG9Dy4ru pic.twitter.com/kTc7Wj7mZF— dTV (@dTV_PR) October 19, 2016
50歳でこの容姿ってカッコ良すぎますよね。。年齢差なんて感じないのもわけはない。。
2005年12月 前の奥さんと別れてからわずか2年後に篠原涼子さんと再婚、、歳の差はまさかの24歳でした。。略奪婚だと言われる理由もここにありそうです。子供が生まれていますが、二人をつなぎ止める理由にはならず結局2021年7月24日に円満離婚という形で別れています。
画像出典元:NEWSポストセブン
ですが篠原涼子さんが浮気して離婚したそうで、離婚後韓流アイドル SUPERNOVA(旧・超新星)のメンバー・グァンスさんと親密な関係であることが「週刊文春」に報じられています。二人は現在都内のマンションで同居していて「婚約、結婚している」という意味のお揃いのアンクレットをつけているそうです。。
年齢差カップルは結局長続きしなかったんですね。
鼻の整形疑惑!?
貫禄のある顔立ちで有名な市村正親さんは昔の彼のアイドル的な人気のある顔からだいぶ劣化してきました。それを確かめるために現在と若い頃とで比較してみます。現在はネットを中心に貫禄がある一方で穏やかな顔立ちとも言われています。
あ~、ごごナマにいっちゃん出てるぅ~(*´∀`)♪
あ、しまった、小中の大・大・大先輩に向かって…
市村正親先輩、藤井隆さんの吉蔵さんの余韻に浸ってて、すっかり忘れてました、申し訳ございません
m(_ _)m#ごごナマ#市村正親#川越市が生んだミュージカルスター pic.twitter.com/vtyQP3DSFt— tamakichi2311 (@tamakichi2311p) October 30, 2017
若い頃はパンチパーマがトレードマークでめちゃくちゃハンサムです。
伯母が若い頃に観に行った芝居のパンフレットが大量に出てきたんだけど正親ぁ! pic.twitter.com/nkc8KyMMn5
— 朝子 (@GingembreGonta) May 10, 2019
特徴的な鼻の高さや彫りの深さは今も昔もそんなに変わらないですが、比較してみると目力やシワなど「経年による変化」は見られます。。整形したという噂はもちろん嘘ですが、鼻など劣化した部分は確かにあるのでそのような噂が立ってしまうのも仕方ないかもしれないです。
劣化したと言われてしまう理由はもう一つあり、雰囲気が変わったからです。昔の市村正親さんは男前な見た目だった一方でアイドル的な魅力も持ち合わせていて「中性的」、「美青年」、「素朴」といった今のイメージとは真逆の声も多数ありました。

画像出典元:mercari
見た目、雰囲気など確かに劣化したのでしょうが今でも十分魅力的です。
若い頃が元嫁の不倫相手・グァンスと似てる?
市村正親さんは元妻・篠原涼子さんが不倫したことがきっかけで離婚したと言われていますが、不倫相手グァンスさんと若い頃が似ていると言われています。もし本当なら顔が劣化した市村さんより顔の系統が似ていて若いグァンスさんを選んだことになりますが、、市村さんの胸中は複雑だったかもしれません。。
フォローしました!よろしくお願いします💜良ければタメ語で。私もハプスブルク大好き。黄泉の帝王が大好き。
面白い写真見つけたよ🤣
正親若い頃とグァンス今 pic.twitter.com/2O5ukIvxCJ— あいごみ💜aigooomi (@aigooo88507884) August 6, 2021
すごい似ているわけではないですが彫りが深いところ、眉毛の力強さ、強い目力なんかは似てるかも知れないですね。
世間の声
市村正親さんの若い頃についてネット上の声をまとめてみました。
市村正親、結果劇団からオペラ座の怪人を降板させられ退団しミス・サイゴンでさらに活躍は凄いな
— あじのり (@ajinori_Vi0xvv4) July 6, 2022
鹿賀丈史さんて劇団四季の時
市村正親さんと一緒だったんだよね
こんな凄い2人がいた時の劇団四季を
想像すると震えがくる😱— マリキナママ (@Qvo3z0Xx8OYiOGn) June 25, 2022
やっぱり劇団四季の創立メンバー(だったっけ?あってる?)
市村正親さんはスゴい‼️‼️‼️‼️#FNS歌謡祭春— mikathy me(ミカチィ ミィ)🐹🎶 (@mahaku0601) March 23, 2022
やはり劇団四季の創立に携わって、看板役者だった市村さんの活躍は多くの人の印象に残っているようですね。
まとめ
市村さんの若い頃は劇団四季で「オペラ座の怪人」といった有名作品に多数出演していただけでなく大河ドラマやポケットモンスター シリーズの声優など幅広い役で活躍されてきたんですね。
なかなか劇団四季の中で主役が取れず、コンプレックスを抱いていたことは今の自信に満ち溢れた市村さんからするとけっこう意外でした。
現在でもミュージカルやテレビドラマ、ナレーションなどますます活躍の場を広げる市村さんが見逃せないです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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