2022年現在はピークの10/1に激減!松井大輔の年俸推移まとめ。今は1000万円!

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2010年の南アフリカW杯日本代表にも選出された、プロサッカー選手の松井大輔選手。

2000年に京都パープルサンガからキャリアをスタートし、2004年から3年間所属したフランスのル・マンUCでは「太陽」と呼ばれるなど海外でも広く活躍しました。サンテティエンヌからレヒア・グダニクスまで数々の名門チームを渡り歩いてきた松井選手ですが、そこでの年棒はいくらぐらいだったのでしょうか。

ピーク時には1億5,000万円を超える年棒を稼いだ松井選手ですが年齢とともに年棒も低下していると噂がありますが実際のところはどうなのでしょうか。

松井大輔選手の年棒の推移と活躍ぶりに迫りたいと思います。

 

松井大輔の年棒推移

松井大輔選手の年棒の推移を日本海外に分けてまとめました。松井選手の最盛期はやはり海外でのキャリアだと思いますが松井選手はいかにしてトップ選手まで上り詰めていったのでしょうか。

松井選手のチーム別の年棒推移と活躍ぶりに迫りたいと思います。

 

松井大輔の年俸推移【Jリーグ時代編】

「移籍魔」と呼ばれるほど、プロデビューした京都パープルサンガから後は海外の至る所に移籍することが見られました。それだけに松井大輔選手の年収の変動の振り幅は大きいようです。

日本で在籍していたのは京都パープルサンガ、ジュビロ磐田、横浜FCで最高額はジュビロ磐田の4,000万円でした。

Jリーグでは全体でいくらぐらい稼いでいたのでしょうか。松井大輔選手の年棒の推移と、活躍ぶりに迫っていきます。

 

京都パープルサンガ

松井大輔選手は、京都パープルサンガで最高3,000万円稼ぎました。2000年から2004年9月まで在籍して、プロデビューした時の年収400万円から、これだけ年棒が上がったのはすごいですよね。

松井は、サッカー強豪校の鹿児島実業高校で、全国高校選手権に出場し、有名な大久保嘉人選手がいた高校を破り準優勝しています。

その実績からオファーは数多くのクラブからもらっていたようですが、憧れのキングカズこと三浦和良選手の所属する京都パープルサンガを選びます。

2000年の京都パープルサンガは、選手層が厚く松井の他に後のW杯プレーヤーとなる、遠藤保仁(えんどうやすひと)と朴智星(パク・チソン)も在籍していました。

しかし成績は奮わず、失点数が66点で16クラブの中でもダントツの悪い成績J2降格してしまいます。

守備に問題があったことやチームの連携がうまく取れていなかったことが原因と言われていますが、京都パープルサンガでも稀に見る、恵まれたメンツなだけにもったいなかったですね。

1年後、松井は背番号26から10となりチームを引っ張る主力として活躍し、37試合に出場して7得点を決めます。

2002年にはチームを歴代最高の功績である、天皇杯優勝に導き、2004年には京都パープルサンガ所属として、アテネ五輪でも活躍し、チームのJ1復帰に貢献します。

2004年9月、西京極陸上競技場兼球技場での試合を最後に引退します。

その後、京都パープルサンガは再びJ2に降格してしまいますが、引退までチームの主力として活躍し引っ張った実力はすごいですね。

松井の続いてのJリーグ移籍先のジュビロ磐田での年棒活躍ぶりに迫っていきます。

 

ジュビロ磐田

京都パープルサンガ以降の松井大輔選手は、主に海外で活躍し、日本へ戻るのは10年ぶりだったようです。

海外では、フランス2部ル・マンで3ゴールを決め週間ベストイレブンに5度選出の功績を挙げましたがその後はあまりよい結果を残せていなかったようで、その中でオファーを出したのがジュビロ磐田でした。

実力が奮わず、日本に戻ってきた形でしょうか。

ジュビロ磐田での年棒は2014年から2016年まで4,000万円でした。ジュビロ磐田選手の中で、中村俊輔の年収8,000万に次いで2番目に高い契約金だったので、かなり期待されて移籍をしたようですね。

松井は、ジュビロ磐田で最初のシーズンをゲームキャプテンとしてチームを引っ張り、翌2015年は26試合で3得点マークを決める活躍をしますが、2016、2017年とレギュラーに定着せずチームをJ1に上げるという目標を達成できないまま、チームを後にします。

初のゲームキャプテンという役割を任され、チームをまとめプレー以外の部分でも支える必要があるのが困難だったと言います。日本に戻ってきて、ジュビロ磐田に入ったのが32歳の頃で、うまく活躍できなかったのは、年齢コンディションの低下もあるようです。

ジュビロ磐田ではあまり目立った活躍のない感じでしたが、全てがうまくいかなかったわけではなく地域密着のジュビロ磐田のもとでサポーターだけでなく監督と選手から愛されていたようです。




横浜FC

横浜FCでの年棒は1,000万円で、松井大輔選手にしては少ない額ですよね。移籍した2018年時点の37歳は、同期の選手が引退を考えるような年齢で、稼ぐより挑戦することに重きを置いていることと、これまで数多くの成功を収め一流に見合った額を稼いできたことからあまり金額にこだわりがなかったのかもしれません。

京都パープルサンガの時と同じく、キングカズこと三浦知良選手の影響もあったそう。

2017年8月ポーランド2部のオードラオポーレに移籍する際、未知の場所で挑戦したいという松井に、「じゃあ横浜FCだな」と誘ってくれたと言い、海外挑戦の後にプレーする場所は「横浜FCしかない。」と決めていたのでしょう。

所属して最初のシーズンでは、ベンチ入りするも年間を通して9試合しか出場できず、その後ゴールを1度決めてチームはJ1に昇格しますが2020年には3試合しか出場しなかったとのことです。移籍までの3年間では33試合出場し、2得点を決めるに留まりました。

当時39歳。やはり年齢による体力の衰えは大きいのでしょう。横浜FCで引退かと思われましたが、2020年ベトナム1部リーグのサイゴンFCで再び海外挑戦を選びます。

年齢で思うように結果は上がらなくなってきていると思いますが、その中でもサッカーを続けることには挑戦をしていくようです。

 

松井大輔の年俸推移【海外編】

年棒推移、海外編です。海外のサッカーチームに所属すると、日本より年収は高く、億を超えることになります。

それだけじゃなくヨーロッパのクラブではサッカー選手にかかるすべての税金をチームが負担してくれる特典までついているそうです。ヤバすぎでしょ。。

松井大輔選手の活躍はフランスのル・マンと強豪サンティティエンヌが絶頂で、そこからは年齢やプレーするチームの問題など問題が重なり思ったように結果の出せないことが多かったようです。

そんな中、年棒はどのように変化していったのでしょうか。

年棒の推移と、年棒が下がってしまった理由について迫っていきたいと思います。

 

ル・マンUC

フランスのル・マンで年棒1億で契約し、2004年から3年で計3億を稼ぎ出しました。稼いでいた年収は移籍前の京都パープルサンガの3,000万円と比べると7,000万円の大幅アップです。

松井は中学時代からフランスにがあり、将来プレイしたいと考えていた願望が叶った形です。当時フランス2部だったル・マンですが、海外キャリアのスタート地点に選び、2004年9月1日からレンタル移籍します。

松井はル・マンをリーグ1位昇格圏の2位にマークするまでに引き上げ、その華麗なテクニックはフランス中を沸かせル・マンの「太陽」と呼ばれます。

2005年7月には本移籍を果たし、その年のシーズンでは、絶頂期にあった王者リヨンと闘い、1アシストとリーグ・アンでの初ゴールを決めます。

ル・マンのフレデリック・アンツ監督も、松井にはチームの中でも一目置いていたと言い、「彼には常に、一段上のものを求める。それは、彼が必ず、わたしの期待に応えてくれるとわかっているからだ」とまで語っています。

2007年シーズンは持病の腰痛に悩まされ、欠場が続くなどしたようですが、その後は主力級として活躍をし、最終的には4得点4アシストの結果を残します。海外初挑戦でのこの活躍ぶりはすごいです。

続いて松井大輔選手がル・マンでの勢いに乗り、移籍したサンテティエンヌでの年棒推移活躍ぶりを見ていきます。

 

ASサンテティエンンヌからトム・トムスク

続いて移籍したASサンテティエンヌでは年棒は1億5,000万円だったと言われていて、ボーナスの3億5千万円も含め相当な額を稼いでいますが、移籍はわずか1年短かったようです。

サンテティエンヌはリーグ優勝を10回以上飾ったことのある強豪チームで、松井はUEFAカップへの参加も視野に入れ移籍を決めたようですね。

シーズン序盤ではあまり活躍できず、監督の交代で徐々に出場の機会を増やしていったようですが、監督との相性が悪かったことやフロント内の揉め事などが原因で1年ほどでチームを離脱します。

思うように活躍ができなかったようで、結果も合計で22試合1ゴールに収まります。

年収からもわかるように、市場価値が一番高かった時期だったので、外部の要因で思うように活躍ができなかったのはもったいなかったですね。

 

グルノーブル・フット38

2009年6月に同じくフランスにあるチーム、グルノーブル・フット38へ年棒1億の契約で移籍します。

移籍理由は2010年の南アフリカW杯出場するためで、過去に2006年のW杯ドイツ大会に落選していた経験があったため、出場にかける思いは並々ならぬものだったと思われます。

南アフリカW杯では、日本代表の全4試合に先発し、ベスト16進出の成績を残しましたが、グルノーブルでは出場の機会に恵まれず、チームはリーグ最下位となり2部へ降格してしまいます。松井の最終的な成績は45試合出場の5得点でした。

グルノーブルからは、ポルトガルの名門スポルティングへの移籍話もあったそうですがうまく進まなかったようです。

理由は、「素人経営」と呼ばれたようにスポンサーがチームの運営を金銭面でうまくできなかったからと、W杯の成績から移籍金が高騰したからだと言われています。結局、スポルティングへは移籍できずロシアのFCトム・トムスクに3ヶ月限定でレンタル移籍することになります。

 

FCトム・トムスク

トム・トムスクでは、7試合0得点で年収1億円でした。

その後、再びグルノーブルに戻ってプレーすることになります。Jリーグからいくつかオファーがあったようですが、海外での活動を希望し復帰するも、グルノーブルは結局リーグ3位まで降格してしまい、挙げ句破産したことでプロからアマチュアチームに戻ってしまうなど散々な末路を辿る結果となってしまいます。

松井が原因ではないですが、何かとチーム運に恵まれないのかなと思います。

 

ディジョンFCO

ディジョンFCOでの年棒は1億円を割り、5,000万円となっていました。2011年7月27日、グルノーブルが破産してしまった影響からディジョンFCOへ移籍します。

グルノーブルは、4部リーグまで降格したことでプロ選手を保有できなくなってしまい、松井は移籍金なしのフリーで完全移籍をします。

移籍した当初、ディジョンはリーグ1部へ昇格予定でした。よい風に捉えれば、移籍金がなかったため自由にクラブを選べ、好条件で新たなチームに移れたと言えるのではないでしょうか。松井自身、欧州一部でのプレーを望んでいたこともあります。

結局、怪我の影響や監督との意思のすれ違いなどもあり先発メンバー入りが固まらないまま、成績は3試合、わずか137分の試合時間でした。

 

PFCスラヴィア・ソフィア

PFCスラヴィア・ソフィアでの年収は4,000万円で、1,000万円減りました。

ブルガリア1部・スラヴィア・ソフィアは移籍当初リーグ6位でUEFAヨーロッパリーグの出場歴があり、創立100年を迎える名門チームです。2012年9月11日にフリーで移籍したようですが、やはり海外のフィールドで活躍したいという欲は大きかったのでしょう。

怪我に悩まされ、リーグ戦の出場はわずか11試合となります。移籍当初「ここで一からやり直したい。」と語っていましたが、ディジョンでの挫折は取り戻せなかったということでしょう。

続いて、ポーランド1部のレヒア・グダニクスに移籍します。

 

レヒア・グダニクス

ポーランドのレヒア・グダニクスで年棒は以前のチームと変わらず4,000万円でした。

スラヴィア・ソフィアが2部降格したのをきっかけに、2013年7月3日、ポーランド1部リーグレヒア・グダニクスに移籍します。

このチームでの松井の信頼は絶大で、スラヴィア・ソフィアの時より多い、16試合出場ゴール数4を決めました。ただやはり海外の壁は厚かったのか、来期6月までの契約を残したまま海外リーグを去ります。

その後は、Jリーグに11年ぶりに復帰し、再び海外リーグに戻ってくるのは2017年になってからの2部オードラ・オポーレでした。続いてオードラ・オポーレでの活躍ぶりに迫ります。

 

結局実力は落ちていますよね。その後は実力不足もあってか、日本に戻る形となります。今年7月には鳥栖が獲得に乗り出したとの報道もあったが、条件面などで交渉がまとまらなかった。来年2月には

 

オードラ・オポーレ

ポーランド2部オードラ・オポーレでは年棒2,000万円で、ジュビロ磐田の時の半分になっています。

チームをJ1に上げることができなかったなど目立った活躍のなかったジュビロ磐田から、2017年36歳のとき機会を求めて再び海外挑戦します。

4試合0得点の成績しか残せず、結局半年でJ2のチーム横浜FCに移籍して日本に戻ることになります。

 

サイゴンFC

サイゴンFCでの松井の年棒は1,000万でした。

2020年10月23日に再び海外挑戦する道を選びます。日本とベトナムの架け橋になりたいと日本人不毛の地と呼ばれたベトナムのサイゴンFCを選びます。

チームは、2020年・歴代最高成績の1部リーグ3位に上り詰めましたが、その後は14チーム中13位に低迷し、5連敗をしてしまうなど散々な結果となってしまいます。

チーム運営側の試みは、松井をはじめとした日本人選手を受け入れチームを強化するというものでしたが、失敗に終わり、2022年はキャプテン含め3/2の選手を入れ替えることが決定します。

サイゴンFCの後、松井は、2022年1月21日からJ3リーグに所属する日本のチーム・Y.S.C.C.横浜で活躍しています。

 

松井大輔の現在の年棒、年収

松井大輔選手は、2022年現在はフットサルとJ3リーグ・サッカーの二刀流で忙しい日々を送り、プロ契約も結んで高い年棒を受け取っています。普通なら引退を考える年齢で、二刀流をしてまでサッカーを続ける道を選んだ理由が気になります。

松井の日本では2020年横浜FCから海外では2021年、ベトナム・サイゴンFCでの活躍した過去から現在までに至るまでの松井自身の変化にも注目したいです。

松井の現在の年棒と、現在のキャリアを選んだ理由・経緯に迫りたいと思います。

 

収入1:サッカー選手

松井大輔選手の年棒は、詳しくは明らかになっていませんがFC横浜での1,000万円を大きく下回る額と考えられます。

所属するYSCC横浜はJ3リーグで、一つ上のJ2リーグ所属選手の年棒は平均で400万円強、加えてチームで人数の上限のないプロB、プロC契約での年棒が平均480万円なので年収は高くとも500万円ほどだと思われます。

年棒や活躍は度外視でサッカーを続けるためだけにピッチに立ち続けているのでしょう。松井のチャレンジャー精神からの挑戦でしょうが、J3リーグで年棒が低く、活躍も2022年4月16日に途中出場で一度試合に出たきりのあまり目立たない感じです。

引退について松井は『40歳で辞める予定だったが、コロナでやめられなくなった。やはり最後は観客がいる中で引退したい』と語っていたので、YSCC横浜が最後の所属チームになると思われます。

サッカー選手としては年齢による体力の衰えなど活躍は厳しいでしょう。それ以外での活躍に関しては、コーチ業などに興味があると語っていたのでそこには期待できると思います。




収入2:フットサル選手

松井大輔選手はY.S.C.C.横浜と2021年9月から半年間の契約を結んでいて、1年間に換算すると1,000万円に相当する額を受け取っているとのこと。同じディジョン1リーグ所属チームの名古屋オーシャンズで平均年棒が500万円程度、アマチュアクラブではさらに低い年棒200万円以下になるとされているためかなり高額だと言えるでしょう。

Fリーグが発展するためには知名度の上昇が不可欠で、そのために松井のような有名選手が必要になります。それを踏まえると松井が1,000万円という高額で契約したことにも納得がいきます。

松井はデビュー戦である、YSCC横浜と湘南ベルマーレの試合で目立った活躍を残せず結果は1-3で敗退し、2021年度のディジョン1・FリーグはY.S.C.C.横浜が12試合中10位という結果に終わってしまいました。

フットサルのルールに適応すること、コンディションを保つことが難しく、持ち前の瞬発力と技術力が通用しない場面や3ヶ月以上の隔離期間で下がってしまったコンディションなどがあるようです。

苦境を乗り越え活躍をして欲しいと思いますが、やはり0からの挑戦は難しいと思いますね。

収入3:YouTuber

matui_yo(2022年6月現在)

画像出典元:yutura

サイト「viewreward」のYoutuber年収計算機によると広告収入は月収で10万円から20万円ほどです。2022年6月現在のチャンネル登録者数は4万人で、この規模だと毎月数万円~十数万円の広告収入になるそうです。これらによれば年収は最高で240万円ほどになると考えられます。

松井選手の現在プロ選手としての年棒とこれまでの貯蓄額から考えると収入源としてはあまり意識していないでしょう。

2022年1月19日からyoutubeチャンネルを開設してサッカー、フットサルの解説動画をメインに上げています。チャンネル登録者は1ヶ月で約1,000人増えるなど右肩上がりに推移し、1動画での再生回数は最高で19万回を超えることもあるそうです。

コラボ動画では、鹿児島実業高校時代の元同級生・那須大輔選手をゲストに招いて高校時代の過酷な練習内容や生活など過去のエピソードを暴露するといった内容で、スポーツ好きだけでなく松井選手のファンとしても見逃せない内容です。

Youtubeでの収益にあまり拘らないと思いますが今後はゲーム実況にも取り組んでいきたいと語っていて、Youtube投稿は続けていくようです。

 

松井大輔の年棒の使い道

松井大輔選手は莫大な額を稼いでいて、最高で1年間の年棒が1億5,000万円だったこともあります。しかも海外を転々とする中で別荘も購入しているとなると年棒の使い道がかなり気になります。

松井大輔選手の年棒の使い道や、資産額に迫りたいと思います。

 

松井大輔は1億円超えの豪邸に住んでいる!?

松井選手は2018年の横浜FCへの移籍をきっかけにそれまで住んでいた静岡県浜松市から引っ越し、現在は東京都に住んでいますが住宅について詳しくは明らかにされていません。

ですが、日本では住宅のローン上限が1億であるのと、無理なく住宅を購入できると言われているのが年収の5倍であると言われていることから考えると5億に及ばないまでも1億円を超える住宅に住んでいる可能性が大きいです。

海外滞在中の賃貸物件の家賃は、2020年から2022年まで単身赴任していたベトナム・サイゴンの場合相場から考えると12万円ほどだったと思われます。松井選手の住んでいた賃貸物件はプール付きの豪邸なので意外と安めな印象ですね。

ベトナムは家賃が安いからこの範囲に収まると思いますが、年収1億で住む賃貸物件の家賃相場は280万円ほどとされているので欧州などに住んでいた時期はもっと高額だったかもしれません。

 

愛車は2台で1000万超え!?

松井大輔選手は2台自動車を所有していて、そのうち1台目はベンツで1990年開発の「先代」モデルと呼ばれる根強い人気を誇るものなので中古車価格でも400万から600万のものだそう。中でも特別仕様車や末期型と呼ばれる人気モデルは中古車でさえ1,000万円を超えるそうですからまさに超高級車ですね。

同僚から買い取って購入したそうなので実際にはもう少し安かったかもしれませんが、それでも高級車を買うことができるのは流石です。

二つ目のフォード・エクスプローラー リミテッドは新車価格が530万円です。車を無理なく買えるラインが年棒の半額と言われているので、最高で1億5,000万稼いだことがある松井選手からすると余裕で買えちゃう範囲ですね。

ford画像出典元:GOAL

松井選手がSNSで「我が家の車」と紹介していて家族でドライブやレジャーに出かけるため買ったものだそうで、松井選手の家族想いな一面が分かります。




世間の声

松井大輔選手の年棒に関する世間の声を紹介します。

今後松井選手の年棒は1,000万円から上がっていくのか気になります。

 

まとめ

松井大輔選手はさすがトップ選手ということでやはり年棒は相当な金額でした。ですが、現在はかなり下がっていて活動しているプロフットサル選手としての年棒は1,000万円であることが分かりました。やはり体力の衰えや新しく経験するフットサルへの慣れなど厳しい面があるのでしょうね。

現在はフットサルとサッカーの二刀流で活躍されていることに驚きましたが、Y.S.C.C.横浜での松井選手の今後の活躍に期待したいと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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